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最高裁判所第三小法廷 昭和42年(行ツ)97号 判決

和歌山県有田郡藤並村熊井三四五一

上告人

山下一男

右訴訟代理人弁護士

岩橋東太郎

大阪市東区大手前之町二

被上告人

大阪国税局長

吉瀬維哉

右当事者間の大阪高等裁判所昭和三八年(ネ)第一八一八号所得金額確定請求事件について、同裁判所が昭和四二年八月一〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人岩橋東太郎の上告理由について。

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)挙示の証拠によつて是認するに足り、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の裁量に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美 裁判官 関根小郷)

(昭和四二年(行ツ)第九七号 上告人 山下一男)

上告代理人岩橋東太郎の上告理由

原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

一、

(1) 原判決は、その「理由」の第四項において、「(湯浅)漁業会が(昭二四)年度中に運賃諸掛を含めて金四六万三、三二四円三一銭のマニラロープ漁網等を控訴人(注・上告人のことを指す。以下同じ。)から買入れたことを認めることができ(る)。」とした後、「控訴人は、“山家竹松、日高庄次、山本政次郎、引網幸太郎は右漁業会の組合員であるところ、昭和二四年度に同漁業会が控訴人から買受けた漁網の配給を受けたが、それが同人らの漁業に適しなかつたので直接控訴人に返品したが、その価格は山家金八、七九四円六一銭、日高金三万二六二円、山下金三万七、四六七円、引綱金四万五、九八五円七〇銭、以上合計金一二万二、五〇九円三一銭となる。”と主張するものと解せられるが、いまだ控訴人の右主張事実を認めるに難く、ほかにこれを認めるに足る証拠はない。」と認定し、その後引続いて証拠論を展開し、「すなわち、甲第一九号証は、山家竹松が湯浅漁業会から配給してもらつた品は同人の必要な規格でないので左記のとおり直接被控訴人山下製鋼所へ一応返品した、記、一、金八、七九四円六一銭、右相違ない旨を記載した証明書で山家竹松の氏名の記載と印のおされてあるものであり、甲第二一号証は、山下政次郎の綟網代金三万七、四六七円についての右同様の形式の証明書であるが、いずれも書面自体の作成年月日の記載を欠くのみならず、その証明にかかる配給、返品、したがつて金員受領の時期についてはなんら記載するところのないものであり、同第二〇号証は日高庄次の綟網代金三万二六二円につき、前同様の形式をもつた証明書であり、いずれも書面自体の作成年月日(前者昭和二八年一〇月一二日、後者同月一五日)の記載はあるがその証明にかかる配給、返品、したがつて金額受領の時期についてはなんらの記載のないこと、甲第一九号、二一号証におけると同様のものであり、原審証人日高庄次、同引網幸太郎、当審証人日高タカエ、原審ならびに当審証人山家竹松、同山下政次郎の各供述をもつてしてもその点は少しも明確にし得ないところであつて、右各書証の成立が必ずしも明らかでないものがあるのと相まつて、右証拠を以ては、いまだもつて控訴人の右主張事実を認めがたいといわざるを得ない。」としている。

(2) しかしながら、右の原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背がある。その理由は次のとおりである。

すなわち、原判決の右採証に関する論議は焦点があいまいである。しかし、原判決の真意は、被上告人側の昭和四〇年一二月九日付準備書面記載の主張をその主張どおりにそのまま肯定したものとみられるのである。そして、右被上告人側準備書面上の主張は、二点から成り立つている。

その一は、本件係争年中において、山家竹松等四名が湯浅漁業会から買受けた漁網等を直接上告人に返品した事実は全くない、ということである。

その二は、仮りに右山家等が漁網等を上告人に返品した事実があつたとしても、その返品の時期が明確でない以上、返品の金額を上告人は係争年中の収入金から控除すべき理由はない、ということである。そして、被上告人としては右の二つの理由のうち、後者に力点をおいているとみられるのである。

そして、そのことは当然のことであろう。なんとなれば、漁網は高価であるから漁民は必ずしも毎年漁網を買うものではなく繕いながら長年にわたつて使用するのを常とする。従つて、漁網を買うということは日本の漁民にとつては、恰も農民が土地を購入する場合に匹敵する程度に重大事である。従つて、一旦購入した漁網の返品ということは、漁民にとつて非常に印象深い出来事である筈である。してみると、前記山家らが漁網を返品したと証言している以上、右山家らが他の漁網につき他の機会に行つた返品等と混同しているとは到底考えられない。そうすると、返品の事実はどうしても否定し難い訳である。(原判決が返品の事実自体に疑問を有しているのならば、それは右に述べた理由により、経験則に反する判断であつて違法である。)そこで、被上告人側は、返品の時期の問題を持ち出したのである。すなわち、被上告人は「簿記会計上、商品等の返品(売上戻り)は、既往の売上に対する修正取引として売上金額を減少せしめるものであるから、売上からの控除項目としてその確定の時点でこれを処理するのが原則である。しかして、その返品の金額は、返品の事実が確定したとき、すなわち、返品する旨の通知が買主から売主に到達した日若しくは売主が当該商品等を返品として受取つた日を含む事業年分の売上金額から控除すべきである。本件の返品の時期に至つては全くもつて不明の状況である。それをことさらに係争年たる昭和二四年中の返品とする根拠はなんらない筈である。」と述べているのである。

なるほど、被上告人側の簿記会計に関する一般理論には、何のあやまりもない。しかし、返品の理由について、〈イ〉山家竹松は、甲第一九号証に「私の必要な規格でない」と記載しており、〈ロ〉日高庄次は甲第二〇号証に、「当方の規格と違う」と記載しており、〈ハ〉山本政次郎は、甲第二一号証に「当方の規格に合はない」と記載しており、〈ニ〉引網幸太郎は、甲第二二号証に「漁期に間に合わなかつた。」と記載しているのである。では、個々の漁民が網を購入した場合、それが規格に合わなかつたり、漁期に間に合わなかつたりした場合、何時返却するであろうか。因みに、漁網の規格とは、網に使用している糸は何本より合わせたものかということと、網の目は単位の長さ内にいくつあるかということである。そしてこの規格が異ることによつて、とれる漁類が異つて来るのである。例えば、湯浅漁業会関係の乙第二七号証添付の帖簿写昭和二四年一〇月二九日の項には「綟網(もじあみと読む)四四-一四〇」という記載がみられる。

これを説明すると、先ず四四とは二〇番手の糸が縦糸も四本、横糸も四本づつよりあわせられていることを意味する。また、この一四〇とは単位の長さ(約二尺位)の間に網の目が一四〇あることを意味する。そして、四四-一四〇の場合には「しらす」を対象にした網である。ところが、例えば鰯を対象にした網だと六六-一〇五位である。従つて規格が違うというのは、鰯をとろうとしている者に対して「しらす」を対象にした網を交付したような場合をさす。本件の場合もこのために返品されたものである。

また、漁期に間に合わなかつたとは、例えば湯浅近海では鰯の漁期が梅雨時分であるところ、その時期を過ぎた後に網が交付されたような場合である。零細漁民にしてみると、翌年度の網を買つておいておく余裕はないのだと思われる。

そして、規格に合わなかつたり、漁期に間に合わなかつたりした網の購入者は、その網を購入した直後に返却し、代金を返却して貰うと考えるのが、社会一般の常識であろう。しかるに、被上告人側は返品の時期の記載がないから返品の時期は翌期であつた可能性が大いにあり、昭和二四年度だと認めるべきではないという。そして、原判決もこれに同調している。原判決の右判断は明らかに経験則の適用を誤つたものである。そして、経験則違背は法令違背の一つであり、上記経験則違背が判決に影響を及ぼすことは明らかである。よつて原判決は、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背があるものとして破棄を免れない。

二、

(1) 原判決は、その理由第六項において上告人提出の甲第三九号証および甲第四七、四八号証の一ないし一三を検討して、「甲第三九号証はすでにその金額において控訴人(注・上告人を指す。以下同じ。)の薬師製鋼所からの仕入高と相違するものであるが……右甲第三九号証は薬師製鋼所の営業担当事務員藤田豊一が控訴人から、“実際の取引ではないが、税務署に出す必要があるので、この書類に印を押して欲しい。迷惑はかけないから”といわれ、一旦断つたが何回も頼まれ、同製鋼所(当時会社)社長薬師祥一も控訴人から同趣旨の依頼を受け帳簿を探したが見当らず、一旦断つたが再三依頼されるので藤田に対し“然るべく処理しておけ”と命じたので藤田は帳簿も見ず、控訴人の“これだけの取引があつたように思うから”というままに記載し、代表者の認印を押したものであり、その作成日時も記載の日付の昭和二四年一二月三一日よりは相当年数を経た後であることが認められるのであつて、これを採つて控訴人主張事実を認める資料となし難い。

当審において、控訴本人は甲第四七、四八号証の一ないし一三を以て薬師製鋼所と控訴人の取引の実際を記載したものである旨の供述をし、なるほど甲第四七号証の一ないし一三記載の金額を合計すると、控訴人が新に同製鋼所との係争年中の取引高と主張する金三五万九、八八四円五五銭となる。

しかしながら、甲第四七号証の六はそれ自体発行年月日の記載を欠き、当審証人桶谷周三の供述を以てしても何時それが作成されたものか明らかでなく、……甲第四七号証の三は宛先と日付のみを薬師製鋼所の事務員桶谷周三が記載し、その余は別人が作成したものであるが、このようなことは通常請求書作成過程としてはあり得ないことが認められ、甲第四七号証の五(請求書)は、その取引年月日、取引品目等からみて甲第四八号証の八(出荷御案内)と対応する取引とみるのが相当であるにかかわらず、請求書の日付(昭和二四年五月二日)が出荷案内書の日付(同月七日)よりも先になつているのであつて、このようなことは通常の取引上あり得ないことであるが、当審証人藤田豊一の供述を以てしても、それにもかかわらず、右書類が正常の取引過程において作成されたものと認められる事由はなんら解明し得ず、ほかにその資料はなにもない。

のみならず、当審証人桶谷周三の供述によると、同人は甲第三九号証の作成には関与しないものであるが、控訴人から税金のことについて頼まれ何かを書いたもので、頼まれて書いた以上控訴人に有利なように偽のことを書いたような記憶を有することが認められ、このことからしてもたやすく甲第四七、四八号証の一ないし一三の書証をとつて控訴人主張事実を認めることは困難であるといわざるを得ない。」と述べている。

(2) しかし、原判決には、この点においても、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背がある。その理由は以下に述べるとおりである。

すなわち、原判決の右認定は卒直にいうと、甲第三九号証および甲第四七、四八号証の一ないし一三はいずれも偽造の証拠であるとするものである。なるほど、上告人は審査請求の段階で〈1〉審査請求書(本訴では乙第一号証の一として提出されている)〈2〉審査請求の事由書(本訴では乙第一号証の二として提出されている。)〈3〉審査請求の収支計算書(本訴では乙第一号証の三として提出されている)を提出している模様である。(なお、上告代理人は審査請求の段階では全然本件にはタツチしていない。)そして、右の〈1〉〈2〉および〈3〉の書面の内容は、現に上告人が本訴になつてから申し立てている主張とは相当かけはなれたところの、収入支出ともに金額の僅少なものであるようである。しかし、これは上告人の会計を取扱つていた計理担当者(上告人の被用者ではなくて、単に上告人の経理のみを請負いで担当していたもの)が、当時の風潮に従つて、不用意に記載したものである。そして、乙第一号証の一ないし三の作成された過程が右のようなものであるので、本訴においては一応これを度外視して本訴提起以後の上告人(ないしは、本訴を提起するにあたつてはじめて上告人の代理人となつた上告代理人)の提出物について虚心に判断をいただきたい次第である。

ところで、上告人としては本訴において使用する以外に前記甲第三九号証、甲第四七、四八号証の各一乃至一三は用いようがないものである。従つて、本上告理由書正本の末尾に甲第三九号証、甲第四七、四八号証の各一ないし一三の原本を添付して上覧に供する。

先づ、甲等三九号証を検討しよう。

被上告人側は、甲第三九号証に攻撃を集中し、ここを突破口としている感がある。例えば、被上告人側昭和四〇年一月二六日付準備書面第一項には、「薬師祥一は甲第三九号証について、その様な文書を証人が作成した記憶のないこと、昭和二九年か三〇年頃に控訴人(注・上告人のことを指す。以下同じ。)が(薬師)方に金額を書いた証明書を持参し、それに捺印を求めて来たことがあつたが、帳簿が見当らないため証明できないと断つたこと、その後も再三控訴人がやつて来るので販売担当の雇人藤田豊一にしかるべく処理しておけと命じたこと、それで藤田が控訴人のいうとおり捺印したものと思う等の必要な証言をしているのである。……

したがつて、甲第四七号証の一乃至一三及び等四八号証の一乃至三は、甲第三九号証が訴訟対策上作成された虚偽の文書であると同様、真実の取引を表わすものでない。」と記載されているのである。そして原判決も、一〇丁の表から裏にかけて、右準備書面記載と同様の認定をなし、さらに作成日時にも言及し「その作成日時も、記載の日付の昭和二四年一二月三一日よりは相当年数を経た後であることが認められるのであつて、これ採つて控訴人(上告人を指す)主張事実を認める資料となし難い。」と述べているのである。

しかし、甲第三九号証は、これだけを孤立してみずにその前後に提出されている甲号証と併せて検討すべきものである。

今甲第三九号証の前後に、甲第三九号証と同様の「証明書」が何通提出されているかを瞥見すると次のとおりである。なお記載の日付はその書証の作成年月日である。なお全部を網羅して記載した訳でもない。

1 甲一三号証 昭和二八年一〇月一一日

2 甲一四号証 昭和二八年一〇月一五日

3 甲一五号証 昭和二八年一〇月一三日

4 甲一六号証 昭和二八年一〇月一四日

5 甲一七号証 昭和二八年一〇月一二日

6 甲一八号証 昭和二八年一〇月一六日

7 甲一九号証 日付なし

8 甲二〇号証 昭和二八年一〇月一二日

9 甲二一号証 日付なし

10 甲二二号証 昭和二八年一〇月一五日

11 甲二三号証 昭和二八年一〇月一五日

12 甲二四号証 昭和二八年一〇月一二日

13 甲二五号証 昭和二八年一〇月一七日

14 甲二六号証 昭和二八年一〇月一八日

15 甲二七号証 昭和二八年一〇月一四日

16 甲二八号証 昭和二八年一〇月一二日

17 甲二九号証 昭和二八年一〇月一五日

18 甲三〇号証 昭和二八年一〇月一八日

19 甲三一号証 昭和二八年一〇月一三日

(但し、甲三一号証は表題が「証明書」とされておらず単に「証」とのみされている。)

20 甲三二号証 昭和二八年一〇月一五日

21 甲三三号証 昭和二八年一〇月一五日

22 甲三四号証 昭和二八年一〇月一五日

23 甲三五号証 昭和二八年一〇月一二日

24 甲三六号証 昭和二八年一〇月一五日

25 甲三八号証 昭和三一年 一月二四日

(なお、甲三七号証は「証明書」ではなくて領収書である。)

26 甲三九号証 (これが問題の書証であつて、その作成日付は昭和二四年一二月三一日となつている。)

27 甲四〇号証 (これは「証明書」ではなくて、手紙となつているがその日付は昭和三一年一月二二日となつている。)

28 甲四一号証 昭和三一年 二月 八日

(右の甲四一号証は一応手紙であるが、その後半部に「代金取引証明書」の表題下に証明書が書かれている。)

29 甲四二号証 昭和三一年 二月 二日

(これは「証明書」ではなく書簡の形式をとつている。)

30 甲四三号証 昭和三一年 二月二〇日

31 甲四四号証 昭和三一年 二月二五日

32 甲四五号証 作成日付なし

33 甲四六号証 日付なし

そして以上の1乃至33の書証の内容は、取引高等の記載がなされているものである。しかも、例えば甲四一号証中には、「尚弐参年前に貴殿との取引に関し、大阪国税局係員当所御来所の節も、取引代金の計報告致しましたから為念御通知迄」の記載がある。これらの点から明らかなように、右の1乃至33の書証は本件訴訟が提起されてから、立証の必要上上告人側において準備したものである。そして、右のような書証の番号順の排列の仕方およびその内容の同一種類性にてらすと、26の甲三九号証は、ただ一つだけその作成年月日が昭和二四年一二月三一日となつているが、この日付が誤記であることは明白である。

加うるに、右作成年月日の誤記が作為的なものでないことも明らかであるように思われる。では、甲三九号証の作成時に何故に右のような突飛な誤記を生じたのであろうか。それは、書面の内容上、次のように考えられる。すなわち、甲三九号証には「昭和二十四年一月一日より同年十二月三十一日迄の売掛総額は金参拾五万八千四百弐円八拾参銭立替運賃取引高税含)は相違ありません」と書かれている。それゆえに問題の期間の末日の日付を作成年月日の日時にもしたものであろう。もし、作成年月日の誤記に作為があるものとすれば作成年月日を古く遡らせた目的は、その書証の信憑性を高めるという点にあるであろう。しかし、他の同種の「証明書」名義の書証が、昭和二八年一〇月とか昭和三一年一月、二月等に作成されたことが明瞭な場合に、ただ一つだけ昭和二四年一二月三一日の日附の書面を出して、その書面の信憑性を高めるなどということは到底期待し得ないことではなかろうか。しかも、証明の対象となつている一年間の期間の未日においては証明書作成の必要が未だ生じていなかつたであろうことは誰にもすぐ気のつくことだと思われる。この点から言つても日附を遡らせて甲三九号証の信憑性を高めることができないことは明らかである。

このようにして、作成日附を実際の日より遡らせても書証の信憑性を高め得ないのに作成日附を遡らせていることは、上告人の作為や依頼によるものでなく、原稿作成者かタイプ係の不注意による誤記であると考えない訳にはいかない。ところで、被上告人側は、甲三九号証をもつて「訴訟対策上作成された虚偽の文書」であるとしている。なるほど、それが前述のとおりの経過で作成されたものである以上、表現としては若干好ましくないニユアンスを伴うが「訴訟対策上作成された書面」であるといえないことはない。しかし、その意味でなら被上告人側提出の乙三二号証や乙一六号証の一も「訴訟対策上作成された」ものといい得るであろう。してみると、被上告人側の論理によれば甲三九号証、乙三二号証および乙一六号証の一はいずれも訴訟対策上作成されたものであるから虚偽の文書であるということになる。なるほど、甲三九号証は作成日附の点において、結果においては真実に反するものとなつているが、これは誤記であつて、故意に虚偽を記載したものではない。いわんや、乙三二号証や乙一六号証の一は故意に虚偽を記載した文書ではないであろう。ただ甲三九号証や乙三二号証、乙一六号証の一、等の文書が一方において同一事項を間題にしながら他方において内容が一致しないのは、それが、いずれも原資料からの抜き写しであるために不親切にもしくは不注意のもとに写しが作成されたときは、真実からほど遠いものとなるからである。

従つて、いずれが正しいかは原資料によつてみる外ないのである。そして、上告人が原資料として提示しているのが甲四七、四八号証の各一乃至一三にほかならないのである。

そこで次に、甲四七、四八号証の各一乃至一三を検討してみよう。

ところで、此の点において何よりも強調したいのは、上告人がこの関係で提示しているのは甲四七号証の一乃至一三の一三枚と、甲四八号証の一乃至一三の一三枚、合計二六枚であるということである。しかるに、原判決は右二六枚のうちで一応個々的に検討の対象としているのは、

〈1〉 甲四七号証の六

〈2〉 甲四七号証の三

〈3〉 甲四七号証の五

〈4〉 甲四八号証の八

の四枚に過ぎない。それ以外には甲四七、四八号証の各一乃至一三について一括して上告人に頼まれて書かれた偽造物である旨指摘しているにすぎないのである。

先ず、原判決は右〈1〉甲四七号証の六については、発行年月日の記載を欠くということを指摘しているに止まる。しかし、前掲の証明書についても日付の記載のないものが散見されるように、同様に現実の取引社会では必ずしも請求書の日付の記載洩れを絶無にすることは困難である。しかも日付の記載のないものが、日付の記載のある他の証拠と同時に発見された場合、日付の記載のある他の証拠と同じ年度分であると考えるのは格別とがめ立てしなければならないことではないであろう。

また、原判決は、前記〈2〉甲四七号証の三について、宛先と日付は桶谷周三が記載し、その余は別人が作成したものであるが、このようなことは、通常請求書作成過程としてはあり得ないことが認められる、としている。

しかし、通常あり得ぬことだつたとしても、特殊例外の場合にあり得ないことだとすることはできない。現に、一三枚の請求書中、宛先日付の記載者とその余の記載者とが異るものは一枚しかないのである。

この際、甲四七号証の一乃至一三全部について左記の点を指摘したい。それは、右の一三枚の請求書に記載されている薬師製鋼所の住所ならびに電話番号のことである。すなわち、甲四七号証の一昭和二四年二月一三日の段階では、薬師製鋼所の肩書住所として、「大阪市南区難波三和ビル」と記載され、工場として「大阪府泉南郡貝塚町南」が記載されている。そのうち、「大阪市南区難波三和ビル」の方は赤の二本線で抹消されているのである。その際戎局の電話も抹消されている。ところが、甲四七号証の二の昭和二四年四月一一日の段階になると、「大阪市南区難波三和ビル」の方は抹消されてはいない。しかしその上部に恰も右記載を訂正するかの如く「大阪府貝塚市南一四一〇番地」というゴム印が押されているのである。

さらに、甲四七号証の三の昭和二四年四月二〇日の段階でも、甲四七号証の二と同様にゴム印が押捺されている。

ところが、甲四七号証の四の昭和二四年五月二日の段階になると、請求書は新しいものに変つている。すなわち、その請求書の印刷では薬師製鋼所の住所は「大阪市南区難波」から以前は工場の所在地だつた「大阪府貝塚市南一四一〇番地」に移つているのである。そして甲四七号証の五乃至一三の印刷はいずれも甲四七号証の四と同一になつている。

このような請求書上の薬師の住所の変化の過程の中で、甲四七号証の三は特異な地位をしめており、この点から言つても、この請求書が本物であることは明らかである。

次に、前記〈3〉の甲四七号証の五と〈4〉の甲四八号証の八について検討する。なるほど、原判決の指摘するように請求書の日付が出荷案内書の日付よりも先になつていて日付の後先は存在するのである。しかし、この点についてもこの二つのいずれかの記載者の思いちがいによる誤記があり得ないと一概に断定することはできないであろう。寧ろ、これ位のことはありがちなことではなかろうか。してみると、この点からこれらの証拠を全面的に信用できないとするのはいかがなものであろうか。もし、偽造証拠であるならば、このようなへまな証拠は作成しないであろう。最後に、甲四七、四八号証の各一乃至一三については桶谷周三の供述中に、「上告人に頼まれて何か税金のことについて書いたことがある。」という個所がある点をあげて偽造物である旨判示しているのである。

しかし、甲四七、四八号証の各一乃至一三の全部につき、原判決が判断をあやまつていることは、次のような点から明らかである。

〈1〉 第一に、前述した請求書の住所の変転状況から、右甲号証の真実性は裏付けられていること。

〈2〉 第二に、原判決が甲四八号証の一乃至四の最も重大な領収書については、殆んど検討した痕跡はみられないのである。とりわけ、甲四八号証の四の「五万百二十円」の領収書については信憑性の高いことが一見して明らかである。何故なら、右領収書は昭和二四年九月二四日の作成日付になつている。そして、甲四八号証の五の手紙にも、昭和二四年九月二四日の作成日付がある。また、甲四八号証の六にも明瞭に昭和二四年九月二五日の消印がある。従つて、甲四八号証の四の領収書は薬師製鋼所から、甲四八号証の五の手紙とともに、甲四八号証の封筒に入れて上告人に送付されて来たものであることは明らかであるからである。しかるに、原判決は薬師製鋼所側が上告人に頼まれたと云う曖昧な供述をたてに右甲四八号証の四の領収書についても一括してその信憑性を検討することを懈怠しているのである。

そして、右甲四八号証の四の領収書の信憑性を認めたならば、乙第一六号証の一の信憑性は到底認め得ないこととなるのである。なんとなれば、乙第一六号証の記載によると、上告人と薬師製鋼所間の昭和二四年中における最後の取引は昭和二四年七月六日ということになつている。しかし、甲第四八号証の四の領収書は、昭和二四年七月六日以後にも取引があつたことを示すからである。加うるに、右事実により、甲四七号証および四八号証のうち、昭和二四年七月六日以後の取引について記載したものの全部の信憑性が極度に高まつて来るといわねばならない。なるほど、乙第一六号証の二には「昭和二十五年拾月廿五日大阪国税局協議団和歌山支部へ報告致しました和歌山県有田郡山下一男殿に対する昭和二十四年自一月一日至十二月三十一日間の取引内容明細書は、私の処の売掛帳によつて記載致しましたものですから誤りはありません。」と記載し、乙一六号証の一の信憑性の保証をしている。しかし薬師製鋼所がいかなる理由かで真実に反する報告をし、しかもその報告を真実であると強弁している可能性は存在する。しかも、甲第四八第証の四の領収書により右の可能性は現実性に転化したといわなければならないのである。

〈3〉 第三に、甲四七号証を仔細に検討すると次のような事実を発見する。すなわち、甲四七号証の一〇の下部には「上記ノ通りニ御座ゐますので残金至急御清算賜り度く御願申上ます」と記載されていること、しかもその末尾に右記載を保証するかのごとく桶谷の印が押捺されていることである。この記載をみても迫真力が十分であつて到底偽造物であるとは言い得ないところである。しかも、この甲四七号証の一〇の七月五日の頃には「大阪銀行貝塚支店へ御振込金三、二一四(円)八〇(銭)」なる記載がみられる。偶々乙第一六号証の一を参照すると、七月六日の頃に上記と同額の「三、二一四(円)八〇(銭)」の収入の記載があり、明らかに符合するのである。してみると、乙第一六号証の一は上告人と薬師製鋼所の取引のうち、極く少数のものをピツクアツプして記載したもので、記載のある範囲では真実が書かれているものであろう。では、何故に薬師製鋼所は乙一六号証の一に右のように少数のものをピツクアツプしたのであろうか。敢えて推測すれば次のようになるであろう。すなわち、乙一六号証の一の作成日時は昭和二五年一〇月二五日となつている。この時期には未だ本件の第一審訴訟の提起もなされていない(訴状提出の日時は昭和二六年一〇月二一日となつている。)しかし、審査請求が出されて七ケ月許り経過しているのである。(乙一号証の一によると審査請求の日時は昭和二五年三月三日である。)この段階では、未だ薬師製鋼所は上告人と取引関係があつたか、又は取引関係がなくなつて間もなくの頃である。そして、審査請求においては上告人側が収入金支出金を僅少なものとして申告している。この点からみると、国税局からの問合せに対し、薬師製鋼所が上告人の気持を酌んで、取引のうちの少数のものをピツクアツプして報告した可能性は十分にあると思われるのである。そして、その後になつて薬師製鋼所としては一旦報告をした以上これと異なることを言い出せないのではなかろうか。

〈4〉 第四に、甲四七号証の七、昭和二四年六月一日分の請求書の金額は、甲四八号証の二の右同日附の領収書と金額が一円も違わずに符合している。この点でも両者の真実性が裏付けられているものといわねばならない。

〈5〉 第五に、甲四八号証の一に添付されている収入印紙をみてもその古さ、種類からみてそれが偽造されたものでないことは明らかである。

そして、原判決は以上詳述した各事実を看過して四七、四八号証の各一乃至一三を排斥しているのである。それはひつきようするに証拠を目前にしながら審理を尽さなかつたものでありその結果理由不備に陥つているものに外ならない。

ところで、右は判決に影響を及ほすこと明らかな法令違背であることは勿論である。よつて原判決は破棄を免れないものであると信ずる。

以上

(添付書類記載省略)

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